「響き合わせ」から「ヒビキ愛」へ

だいぶ遅れたレポートとなってしまいましたが、ゆう琴のワークショップ、淡路島の広々とした空間の心地よい場所で、2泊3日、ゆったりと時間を使いながら製作することができました。

いろんな新しい出会いもあり、参加された方からも「めっちゃよかった!」と言っていただき、主催者としては何よりです。

もともと去年琵琶湖で参加した時から、じゃ、次は淡路島ですね、なんて言っていたんですが、そんなにすぐに自分がまた製作するとも思っていなかったですし、この時期にしようと決めていたわけではなかったんですよね。

が、2月のプチリトリートの時に、ゆう琴を淡路島に持ち込んでいたことがキッカケで、トントントン、と話が進み、あの2月に偶然出会った方々にも多いにお世話になりながらの開催でした。

完全に決めきってしまうのではなく、大きな方向性だけ合わせて融通を持たせておくことで、流れが来たときにうまく乗ると、あまり苦労することなく、すべてが整えられた状態になるのを、つくづく主催側として感じました。

製作の工程や素晴らしい食についてはインスタにレポートしていますので、よかったらご覧くださいね。

ここでは、ゆう琴を通して、改めて氣づきがあったことをシェアしようと思います。

チューニング合わせ

ゆう琴は、楽譜が読めなくても、音楽を知らなくても、ただぽろりんと指に任せて弦に触れるだけで、なんとなく、いい感じの、癒される音が出せる楽器。

で、本来、自分の弾きたいようにただ一人で弾けばいいんだけど、同じチューニングに合わせておけば、みんなで響き合わせることができる。いきなりど素人がセッションしてもチューニングさえ合ってれば、なんとなくいい感じになるという摩訶不思議な楽器。

そんなことで、このワークショップで各々自分の製作をしたものを持ち寄り、「響き合わせ」なるものをするのが恒例となってます。

ですが、この「響き合わせ」、非常に心地よい時と、なんとも、響き合わなくて、なんだかなぁという時があります。

一番大きな鍵は、もちろん、それぞれのゆう琴のチューニングがあっているかどうか。

初めて楽器に触れる人など、チューニングということ自体が慣れてなくて、なかなか難しいということ、あと、最初作ったばっかりのときは、弦が安定しないので、チューニングを合わせてもすぐに狂っちゃうってこともあって、作り立てでの響き合わせは難しい場合もあります。

ゆう琴は最初製作するときは、みんな432Hzを基準としてチューニングを合わせることになってます。一般的な音楽は440Hzですが、この周波数をベースとした調律よりも、432Hzをベースとした調律のほうが、私たちの生体への馴染みがいいんですよね。

そこに平均律で調律するか、純正律で調律するか、というような要素も関わってくるので、みんなで演奏する時には、そこを合わせておかないと微妙にずれて気持ち悪いってのもあります。ここが、楽器という意味では一つ大きなポイント。

もう一つの鍵は、自分の音にも、周りの音にも、ちゃんと耳を傾けているかどうか、ということ。

自分自分と自分ばかり心地よくても、周りと合っていないことに氣が付かなければ、ただの暴走だったり自己満足だったり。

だからといって、他人の音ばかり氣にして、遠慮して弾けない、となると響き合わせにはならない。。。

没頭しつつ聞く耳を持つ姿勢も大事だし、遠慮しないで前に出る時は前に出るも大事。

ってことでゆう琴で響き合わせをしようとすると、いろんなことに氣付きます。

響き合わせからヒビキ愛へ

さて、終日の早朝、小高い丘に集まったみんなで、ゆう琴を弾きました。

前夜に感じた違和感について、話をしながら、楽器だけでなくて、まずは、自分自身のチューニングが合っていることの大切さなどを確認したり、この世界で自分自身をそのままに存在させることについてなど想いを語りあったり。

そんなちょっとした想いのシェアをしてから、響き合わせ、もう一回トライしてみましょうって弾いたのが上の音。

まぁ、客観的にこうして聞くと、大変たどたどしいですが(笑)

あの時に感じた、ぐっとくる感じや、空気感というか、なんともいえない心地よさはこの音源では全く再現できていないのですが、実際その場で感じたものは、前日の違和感からすると比べものにならないくらい、心地よさ。

出来立てで、弾いてる端から音もズレていってはいますが、それでも心地よい。

最初のうちはみんな探りながら弾いてるんですが、ある時からなんかまとまってくる波みたいなのがやってきたり、あ、そろそろリズム変わる感じ?とか、あ、そろそろ終わる感じ?とか。ま、なかだるみもあったりしますが(笑)。でも、またちょっと盛り返したり。

誰も何も決めてないのにあうんの呼吸で曲っぽいものが出来上がっていきます。この時は7分以上奏でていました。

実は、この時、Cさんが、「私、真ん中に入って寝たい!」ってことで、彼女を周りでみんな取り囲む感じで、想い想いに弦を弾いてたんですが、終わった瞬間、第一声。

「みんなの愛を感じた〜!癒された〜!」

実は、私を含め、この時ゆう琴奏でた何人かも、途中じわっとくるものがあって、涙が頬を伝わるような感覚の中にいましたし、まさに、愛溢れる瞬間。

「こりゃ10万円セッションだね!(笑)」と、なんとも表現しがたいスペシャルな時空間を共有しました。

演奏していたみなさんは、必ずしも、その彼女を癒そうと思って弾いたわけではないんです。

私は話の流れで彼女に癒やしがもたらされることは意図していましたが、他の人はそれもなかったかもしれません。

弾く時はただ、自分の指がどこに動くか、どの音が気持ち良いか、つまり、自分のすべきことをそれぞれがやっていただけ。

つまり、「私の愛よ、届け〜!」などと念を込めたわけではないのですが、みんなの自然な姿、ただ、その前に話していたことなど、すべてを受け入れてそこに存在して、自分の中とつながって、自分とそして他の人の響きに耳を傾けながらゆう琴を奏でた結果、それは、まさに愛のエネルギーとして、その場が満たされていたんです。

私は愛という言葉をあまり使うの好きではないのですが、それは、言葉で愛、と言っても、まったく愛のエネルギーを伴わないことも多いからなのですが、まさに、これこそ、愛のシェアリングでした。

響き合わせ、じゃなくて、響き合いだね、と感じた瞬間。

そう、自分が違和感を感じているのに、無理に合わせにいこうとする、つまり、響きを合わせにいくのではなくって、自分自身がしっかりチューニングを合わせ、自分の心地よさの中に存在し、内外の響きを感じながら奏でていると、結果として、響きあってるという現実がそこに起こる。

私にゆう琴を紹介してくれたKiKiさんが、また閃いて、「響き合わせ、じゃなくて、ヒビキ愛。降りてきた!」

と。

これはゆう琴だけの話ではなく、とても普遍的な話だと思うんですね。

いつも同じことばかり言ってるのですが、
現実を変えていくのに、外にばかり目を向けていくのではなくて、外に合わせていこうとするのではなくて、自分の軸のブレ・ズレを整える=チューニングを調える、そして、違和感を無視せずに、自分の五感や第六感を研ぎ澄ませながら、無理せず、自然に、目の前にあることに集中する。すると、そこには共鳴・響き合いが起こる。

自分が変なところにチューニングを合わせていたら、その共鳴の結果は違和感だらけの現実。

自分の違和感を無視せず、自分の感覚が伝えてくれることを尊重しながら、内側の奥底の深いところで心地よさを感じる選択を、瞬間瞬間していれば、その共鳴の結果は心地よさであり、響き合い、ヒビキ愛へと繋がる。

その内側の奥底の、深いところの心地よさは、おそらく、とても静かな何か。興奮と刺激的なものではない、何か。

パッションに触れるときの高揚感もあるけれど、それは内側から来るべきもの。外から煽られたり、外に合わせるのではなく、きっと、その静けさとともにあるパッション、静けさとともにある何か、が鍵なのではないかな、なんて思います。

しつこいけど、今一度確認しておきます。

外に合わせにいくのではなく、まずは、自分の軸と自分を合わせ、その状態でヒビキ愛が起きるような日々、瞬間瞬間を生きていきたいものです(^ー^)ノ☆*.。

いつもにも増して、長くなっちゃいました。最後までお読みいただきありがとうございますm(_ _ )m

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