室戸岬から行った祝音プロジェクトの内容をシェアします。
夏至後異常な眠さで
最低限のこと以外は
ほぼ瞑想状態あるいは別の言い方をすると
寝て過ごしたため(^^;;
7月があっという間に過ぎ、
upが遅くなりました…
今、改めてこの祝音の内容を
振り返ると、
なるほど、セッションで起こったことを
消化・昇華していたんだなという感じです。
さて、今回、前半は浄化と
何か奥にあるものを掘り起こしてくる感じ
そして後半はさらに、深いところにある
傷や哀しみで弔う必要のあるところを
癒し、弔ったようでした。
弔ういう言葉を私はセッションでよく使います。
音叉の動きからそのように感じるのですが
弔う、とは、どういうことか。
悲しみや苦痛などの気持ちに
静かに、静かに、寄り添いながら
それらの想いが次のステップへと昇華していけるように
見守ること、のような気がしています。
倫理学者の竹内整一先生の言葉がネット上に
ありましたので、引用します。
「弔う(とむらう)」とは、「訪う(とむらう)」ことである。
訪れて問うということ、訪問することが基本で、
そのことにおいて、死者の魂の冥福を祈ることである。」
なるほど。
この場合は、人間の死のことを
おっしゃっていますが、
私たちは自分たちの中に眠る
様々な感情についても、
このような態度で対応することが
実は必要だったりしますね。
以下、出てきた内容の詳細です。
奥の奥の奥にある恐怖心を弔う
DNA/RNAの修復を全般的に促す
特に、左腎臓のネフロン(腎小体と尿細管:血液をろ過して原尿を作るところ)の調整、
その結果を筋骨格系通し、
私たちの中心でもあるヘソへと伝達し、
中心意識を整える
これらに対してフォーカスを当てながら、
冥王星の音叉と太陽のエネルギーのペンジュラムで働きかけ。
腎臓は血液をろ過して
老廃物を尿の中に排出するとともに、
心臓の活動と血圧も調整しています。
つまり、腎臓は人生の中の
不純物をより分けて排出する能力と
私たちの生命力に影響を与える臓器。
生きる意志と困難に
立ち向かう意志力を生み出す、また、
そのために必要な恐怖の感情を生み出すと
捉えらることができます。
ご先祖様の気をいただいている臓器でもありますが
バランスが崩れると
この恐怖心が行き過ぎる、
意志力が歪められ、全てをコントロールしようと
してしまったりします。
今回、足元で音叉を鳴らしたのですが
まず、長いあいだ、静かな音で
丁寧に働きかける感じ。
その後、やや激しく、何かを動かしたあと
弔うような感じ。
何かを収めては
掻き出す、あるいは払う、
という動きを繰り返していました。
奥の奥の奥にあるものを
払って掻き出しては解放し
払って掻き出しては解放し、、
と内側にある本来のものが出てくるのを
促しているようでした。
私たちの奥に
先祖代々引き継いできた
あるいは自分たちの魂の記憶に眠っていた
深い恐れの感情、またその元となる事柄
などを静かにそっと癒し
最終的に手放すための
サポートだったような感じです。
物質や植物が感じている哀しみと呼応する部分の癒しと弔い
次に
体の交感神経/副交感神経のオンオフや
水分バランスの調整、
大脳皮質と体の各部分の情報伝達など
体の基本的な機能の調整。
また、人間が作り出した物質や
植物が感じている哀しみ、
人間に対するちょっとした嫌気のような感覚を
私たちが実は心のそこで感じ取って
記憶の中にもっている部分が
潜在意識下で活性化していたようで
その解放の促進
神経、血液、リンパ循環の促進
以上に対して、海王星と月、
イシスと太陽のペンジュラムで働きかけ。
長く、静かに、調整。
といった内容になりました。
植物にも私たちとは異なるけれども
意識があり、感情のようなものがあります。
私たちが作り出した物質もまた
それらなりの意識をもっています。
物質や植物の人間に対する嫌気!?と出てきて
ちょっとびっくりしましたが、
確かに、人間は多大に植物の恩恵に
あるいは、自ら作り出した物質の恩恵に
与っているにもかかわらず
その扱いはぞんざいだったりします。
植物や物質がが人間に対して哀しみや嫌気のようなものを
多少なりとも感じていても不思議ではないかも、、です。
そして、私たちもまた、
物質や植物たちのもっている感覚を
受け取るだけの敏感さを
本来は合わせもっていて
五感レベルでは感じ取っていなくても
潜在意識下では受け取っているんですね。
それはなんとも言えない
哀しみを私たちの中に
生じさせているのかもしれません。
セッション最後に受け取ったメッセージ:
「この日のセッションは
最高に研ぎ澄まされた感覚の中で
今、私たちが目覚めさせるべき自分の一部が
すでに活動を開始していることを受け止め
それに従って変化していく自らの人生を
喜んで迎え入れ、
新たな人生の一側面を経験していくことを
スムーズに促すためのセッション。」
研ぎ澄まされた感覚というのは
参加者の大半が室戸で大自然に触れていたこととも
関係がありますし、
夏至前ということで、潜在意識下で
感覚が研ぎ澄まされていた、ということもありそうです。
普段感じられない物質や植物の想いも
顕在意識ではないにしても感じとるほどに
敏感な感覚になっていた、ということですね〜。
なるほど1ヶ月を経て振り返って
どおりで、
悲しい・哀しいという感覚が
理由もなく湧き上がってきていたんだな
と思います。
おかげで8月に入り
何か切り替わってきました。
8月は月蝕、日蝕などもあり
またまた変容を促す月となりそうです。
再び祝音を行いますので
自らの変容を通して、
集合意識の変容、シフトに参画したい方で
ピンとくる方、よかったらぜひご参加下さい。