あなたがもし、
氣になって何度も何度も
繰り返しチェックしてしまうような
ことがあるのなら…
その「氣になってる」
という状態を維持するのに
どれだけのエネルギーを注いでいるか
ずっと氣になってるを
やっていたいなら
それでもいいけれど
あなたはエネルギーを
相当無駄に使っている
あまりにも長い間
氣になっているなら
そこに踏み込まない理由や理屈を
あれこれと頭の中で並べ立て
過去の自分の反映である
現実を理由にするよりも
思い切って
その世界に飛び込んでみる
それは何らかの扉を
開けている
扉の先にあるものが
自分に何をもたらすのか
何を教えてくれるのか
もしかしたら
ああ、自分の求めてたことじゃ
なかった、と思うかもしれない
でもそしたら、
それがずっと氣になっていて
そこに氣をとられていた
自分を解放するビッグチャンス
さっとそこから離れればいい
でも、もしかしたら
ああ、これ自分の求めてたこと!
なんでもっと早く
飛び込まなかったんだろう
って思うこともある
もしかしたら
飛び込めない理由は
タイミングにもあるかもしれない
タイミングが来た時
条件が整った時
飛び込む勇気が湧いてくる
そんな時は
誰かの、何かの、
あるいは宇宙からの
一押しが
サインとして現れてる
そのサインを見逃さない
それを感じ取るのは
あくまでも自分の内側
そのタイミングは
一瞬かもしれない
だからこそ、
意識を自分の内側に向けて
おかないと掴めないんだよね
もうそこには
理屈もへったくれもない
ただ、ああ、なんか
これ、今なんだなっていう
そして、それを掴んだ後で
数年前に出会ってた
ああ、あの時のあれ
ここにつながる布石だったんだな
ああ、あの時、別のところで
あんなことも言われてたな
あるいは、
あの時のあの苦しい症状
あれがここにつながるために
必要だったんだな
あの時、「たまたま」
あれを選択してしまったがために
「失敗した」と思っていた
あれが、今ここへつながるために
必要だったんだな
などなど
振り返ると
自分を導くために
いろんなことが
起こっていて
その波乱万丈の
人生のミラクルに
笑けてくる
話を戻そう
時には飛び込んで
ああ、失敗した、
と思うことも
あるかもしれない
何度もそれが
続くかもしれない
でも、その後も
人が何と言おうと
自分の中の何かが
「氣になってしょうがないこと」
を追いかけているなら
結果がどうであれ
飛び込んでみるのは
スタック状態を
動かすための一つの方法
そして、
それを続けた先に
必ず、ああ、このために、
これと出会うために
自分にはここまでの
ステップが必要だったんだな
って氣づく時がくる
それは、他人からみたら
不要なステップで
無駄で、バカらしくて
実際にバカにされるかもしれない
でも、自分にとっては
必要だった
いや、必要なかったかもしれないけれど
でも、自分はその道しか通れなかった
つまり、それが自分の
選択だった
ただそれだけ
どうしても、その
自分の選択、
を認めたくなかったりも
するけれど
そして実際、それが
本当に自分の選択だったのか
それとも
自分に何かが影響してて
それに影響されてたから
そういう選択肢しか
選んでこなかったのか
そういう色々もあるけれど
それでお、それを選択してきたのは
そういう何かに影響される
ことを自分に許してきた自分の
選択なのです
無意識だったとしても。
飛び込んで初めて
やっと人生自分の選択が
作り上げてるんだ
と腑に落ちる
そうでない時は
理由をあれやこれやと
並べ立て
まるで自分は
選択肢のない被害者だと
そんな視点をどこかで
持ち続けてしまっている
勇氣ある選択を
自分にさせてあげること
人生の転機では必要
ほんとに、何度も何度も
小さい選択
大きい選択
やってくるけれど
とくに人生の
切り替え地点では
危機! ピンチ!
と思われることがやってきて
今までにない選択を
迫られる
よく聞くと思うけど
ほんとに
ピンチはチャンス
自分の今まで使ってきたのとは
違う力が引き出される
そこにスイッチが入る
流れが変わる
そこに飛び込むかどうか
勇氣とワクワクと
恐怖と不安と
どちらを選ぶのか
現状維持と現状突破と
どちらを選ぶのか
さぁ。
あなたは人生で
どちらをやってきたでしょう
私は現状維持も
たっぷりやってきたけれど
今、めっちゃ飛び込んでます笑
もう私史上前代未聞に
今までならやらなかったことに
あえて突っ込んでみて
ああ、これは大失敗、も
あるけれど、
それがなければ
出会わなかった人たちがいて
その時はそれしか
目の前に差し出されていなかったので
それでよかったんだ
と素直に思える
たとえそれが
他者からみたらなんて無駄な!
って動きだったとしても
大失敗!って思ったときに
それを選択した自分に
選択した内容にこだわっちゃって
それをやり続けなきゃいけない
って自分を枠にはめると
沼にハマるけれど
それはあくまでも
次の扉への通過点
あ、違ったって思ったら
ああ、これはやっぱり違ったね
なんとなく最初からわかってたところ
あったよね、っと
自分の内側のセンサーを
再確認するキッカケとして
使えばいい
それが多少経済的に投資を
してたとしても
お金を使った以上に
エネルギーと時間を
違うと思ったところに
注ぎ続ける必要はない
次へ。
でも無理からに次を
探すのではなく
必要ならポンと
また次の何かが
やってくる
お試しもやってくる
しょうがない、
人生、未来から
ボンボンといろんなものが
流れてくるから。
それをどこでキャッチするのか
しないのか
なぜかキャッチしてしまった
そのボール
なぜかキャッチできなかった
あのボール
あまりにも
いっぱいボール飛んでくるから
どれキャッチしていいか
わからないかもしれないけれど
キャッチしてるのに
箱にしまっては
何度も何度も
じっと眺めてるだけで
そのボールから受け取ってない
何かがあるのであれば
一度ボールで遊んでみる
その「氣になってる」
は物品かもしれない
買ってみては興味を失う
を繰り返してるのであれば
次、氣になってるもの買って
興味失った時には
自分はほんとは何を求めてるのか
を問うてみよう
もう永遠にその買っては
興味失う、をやってるのであれば
それは「氣になってる」理由が
その商品ではない可能性がある
その「氣になってる」
は何かの学びかもしれない
学んでも自分の身にならない
を繰り返しているのであれば
どうしてそれが氣になってたのか
を振り返ってみよう
氣になってた理由は
その内容を学ぶことでは
なかったのかもしれない
自分のエリアじゃないものを
知るためだったのかもしれない
あるいはその氣になってた理由は
次の別の出会いのためだったかも
しれない
でもそれも
踏み込んでみたから
わかったこと。
その「氣になる」は
自分を変える何か、
かもしれない
変化にはたいてい
抵抗が入るので
なんだかんだ理由をつけて
自分を変化から遠ざける
時にはわざわざ潜在意識が
その理由を現実に作りだすことすらある
再び話を元に戻すと
「氣になる」ことがあるのなら
勇氣を持って飛び込んでみる
が
扉を開く流れをつくる
キッカケになりますよ
というお話。
特に、
急な出費が続いてひー!とか
最近ガラス製品がよく割れる!
とか、
最近陶器が続けて割れた!
とか、
電化製品が立て続けに壊れた!
とか
パソコンが壊れた!
とか
そういうの、変化のサインですから!
例えば、私は2018年に
買ったパソコンが
なんか急に不調になり
もうどうしようもなく
今出費控えたいんだけど
「しょうがない、これは
買い換えるしかない」って
そして「買い換えるなら
ある程度のスペックある
やつじゃないか」と
思い切って買い替えたら
YouTubeもっとやろうという
流れがやってきて
そのためには古いマシンだと
スペックが追いついてなかったことを
後で知ったり
webカメラが調子悪くて
新しいの買ったみたけど
どうも気に食わなくて
でも、よく調べたら
パソコン新しくなったことで
手持ちのiPhoneがカメラとして
使えるじゃんってことで
より鮮明な画像でお届けできる
ことになったり
昔、めっちゃ気になって
iPhone用のプロレンズを
買ってたけど活用できてなかったのが
ここへきて、あれ、
YouTubeやzoomにめっちゃいいじゃん!
てなったり
(要は過去に氣になってたものが
ここにきて使える流れ)
とか
パソコン一つとってもこんな感じで。
さらにこないだから陶器が
また何個か割れてるので
ああ、また何か
ブレイクするー!
break through する
突破する
そんな時期なんだなと
ひしひしと
ニヤニヤと
ちょっとヒヤヒヤと
ちょっと怖さもあるけど
自分の好奇心を追いかける
自分の「氣になる」
をやってみています
あなたは
自分の「氣になる」を
「気になる」でとめてませんか?