手放すとは手放すのではなくて自分の中に戻り一つになること

岡寺へ向かう坂@奈良
on the Day of Great Conjunction

2020年12月の日蝕・冬至スペシャル祝音にご参加いただいたYUさんからのご感想。葛藤について、自由について、手放すことについて、深い氣付きをシェアしてくださいました。ぜひみなさまご覧ください。


ケイコさん、祝音ありがとうございました😊

15日の祝音は特別何かを感じるとかは無く、
色んなことが頭に浮かんでは消えの繰り返しでした。

途中で無性に夫と手を繋ぎたくなって、
手を握ると彼がニコッと笑ってくれて、
なぜかその時泣きたくなるぐらい
今この状況がどれだけ奇跡に近いのか、
大切さと尊さを感じました。

21日の祝音は
スタートから太ももがカッと熱くなりました。
自分の中に閉じ込めていた何かを
自由にすることへの決意と、
それを手放した後の孤独への恐怖や不安を見ていました。

言葉にするのが難しいのですが、
ヴィジョンの中でその何かを
一度自由にしようとしたのに、
私がやっぱり離れていかないで、
一人は不安で怖いと泣くと、
その何かは自分から足首に
鎖を繋いで隣に座ってくれました。

そんな状態なのに
その何かから感じるのは、
この状況は少し困るけど
それ以上に私のことが可愛い、
大切だというものでした。

しばらくは安心していたのですが、
やはりこんなのは違う、
もうこの何かをちゃんと手放して
自由にする時が来たんだと、
だんだんと思い始めました。

隣に座る何かは私に対し、
たくさんの世界を見てくるよ、
そしてまた私の所に来て
見てきたことを話しに戻ってくるよ。
望んだ時にすぐ戻ってくる、
大丈夫だよと伝えてくれました。

たくさんの葛藤の後、
今こそ勇気を出して本当に手放す、
自由にする時なのだと思いました。
そう伝えると
その何かの足首にあった鎖は外れ、
どこかに飛んでいったり離れるのではなく、
とても嬉しそうに私の中に飛び込んできました。

もう泣けて泣けて、
言葉にするのは本当に難しいのだけれど、
手放すとは手放すのではなくて
自分の中に戻り一つになることなのか、
そして一つになっても
その中の存在の自由を尊重することなのか、
手放すとは
孤独になることでは無かったのだと知りました。

夫とほぼ同じタイミングで終了したようで、
どんな感じだったか尋ねると
受容がテーマだったとのことでした。

受け入れること、受け入れるとは?
祝音中ずっと受容という言葉があり、
色々振り返り考えたとのことでした。

15日、21日と祝音という
素晴らしい時間と場所を提供していただき、
また参加させていただきありがとうございました。


YUさん、とても深く響くシェア、そしてご参加ありがとうございました!




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